世界の偉人たち「驚きの日本発見」

ウィリアム・スミス・クラーク
(1826~1886年)

アインシュタイン

「 "Boys, be ambitious!like a old man" Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement, not for that evanescent thing which men call fame …Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be. 」 「〝青年よ、大志を抱け 成熟した人のように″ それは金銭や我欲のためにではなく 名声という空虚な志のためでもなく  人はいかにあるべきか その道を全うするために 大志を抱け。」 」
(出典『日本奥地紀行)』平凡社)

アインシュタイン
クラーク博士は、幕末から明治にかけて欧米の先進技術や学問を輸入するために雇用された、いわゆる「お雇い外国人」のひとりです。米国マサチューセッツ州で生 まれ、ドイツのゲッティンゲン大 学で「隕石の組成に関する研究」で博士号を取得後、米国アマース ト大学教授になり、その後マサ チューセッツ農科大学の第3代学長も勤めています。アマースト大学に留学した新島襄(同志社大学の 創設者)の紹介により、1876年(明治9年)に札幌農業学校(現北海道大学)の初代教頭(事実上の学長)に就任 し、8ヶ月札幌に滞在して自然科学一般を英語で教えまし た。上記の「Boys, be ambitious(青年よ、大志を抱 け)・・・」は、札幌農学校第1期生との別れの際にク ラーク博士が述べた言葉とされています。クラーク博士より直接指導を受けた第1期生により博士の精神は継承さ れ、第2期生には、国連事務次長となった新渡戸稲造、平和主義者で思想家の内村鑑三、世界的な植物学者の宮部金 吾など著名な人材が育っています。
夢を持つならばハッキリとした「目標」とその「方向性」を見定めてゆかねばなりません。教育の崩壊が叫ばれる今、ハッキリとした「大志 (目 標)」を抱き、自ら方向を見定めて進んでいける青少年の育成が益々重要になってきています。

ヴィレム・ホイセン・ファン・カッテンディーケ
(1816~1866年)

ヴィレム・ホイセン・ファン・カッテンディーケ

「日本人の欲望は単純で、贅沢といえばただ着物に金をかけるくらいが関の山であ る。・・・上流家庭の食事とても、至って簡素であるから、貧乏人だとて富貴の人びととさほど違った食事をしているわけではない。 日本人が他の東洋諸民族と 異なる特性の一つは、奢侈贅 沢に執着心を持たないことであって、非常に高貴な人びと の館ですら、簡素、単純きわまるものである。すなわち、大広間にも備え付けの椅子、 机、書棚などの備品が一つもない。」
(出典:『長崎海軍伝 習所の日々』水田信利 訳(東洋文庫26・平凡社)

ヴィレム・ホイセン・ファン・カッテンディーケ
カッテンディーケはオランダの海軍軍人で、徳川幕府が 発注した軍艦ヤーパン号(後の咸臨丸)を長崎に回航し、 1857年(安政4年)に来日しました。そして、幕府が開い た長崎海軍伝習所の第1次教官ペルス・ライケンの後任と して第2次教官となり、勝海舟などの幕臣に精力的に航海 術・砲術・測量法などの近代海軍の教育を精力的に行いま した。第一次教官ライケンは「狭く、深く」追求するタイ プで、何事も中途半端な知識をとても嫌ったと言います。 一方の第二次教官のカッテンディーケは「広く、浅く」の タイプで、できるだけ伝習生には多くの知識を教授するよ う努めた正反対の人物だったようです。 また、彼は「日本の農業は完璧に近い。その高いレベル の農業から推察するに、この国の面積は非常に莫大な人口 を収容することができる」と日本の農業レベルの高さに驚 いています。水田稲作は大昔からの日本人の生活の基盤と なり、個人や家族の単位を超えた共同の生活と作業を通じ て、「和」や「公」の精神、さらには「勤勉」を子孫に伝え てきた日本の伝統であったことが偲ばれます。

ウィリアム・スミス・クラーク
(1826~1886年)

アインシュタイン

「近代日本の発展ほど世界を驚か せたものはない。一系の天皇を戴い ていることが今日の日本をあらしめ たのである。私はこのような尊い国 が世界に一ヶ所ぐらいなくてはなら ないと考えていた。世界の未来は進 むだけ進み、その間幾度か争いは繰 り返されて、最後に戦いに疲れる時 が来る。その時人類は、まことの平和を求めて、世界的な盟主をあげなければならない。この 世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国 の歴史を抜きこえた最も古くてまた尊い家柄でななくては ならぬ。世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。 それにはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。わ れわれは神に感謝する。われわれに日本という尊い国を 創ったことを。」
(出典:『「日本文明」の新価ー今、世界 が注目する』清水馨八郎著、詳伝社黄金文庫)

アインシュタイン
1879年(明治12年)ドイツで生まれたアインシュタイン は、5歳まではあまり言葉を話さず読字障害であったとも 言われています。
しかし、5歳のとき父からもらった方位 磁石がきっかけで自然界の仕組みに興味をもつようにな り、ユークリッド幾何学や微分積分学などを寝る間も惜し んで独習し、数学には突出した才能を示したようです。
チューリッヒ連邦工科大学を卒業後、スイス特許庁に就職 し、奇跡の年と称される1905年には「光量子仮説」「ブ ラウン運動の理論」「特殊相対性理論」に関する5つの重 要な論文を発表しています。
アインシュタインは1922年(大正11年)11月17日に日 本を訪れた際、訪日する船の中でノーベル物理学賞受賞の 知らせを受けました。日本には43日間滞在しています が、帰国間際の12月23-27日には門司や博多を訪れ、福 岡市大博劇場で一般講演も行っています。
上記の言葉は、アインシュタインが離日直前に新聞に寄 稿した文章とのことで、清水馨八郎氏の著作に「アイン シュタインの予言」として紹介されているものです。明確な出典が不明なため創作であるとの指摘もありますが、いずれにしろ上記の文章は、われわれ日本人の使命を再認識する上で、今こそ日本人一人一人が 噛み締めるべき重要なメッセージのように感じます。

ヴァーシリィ・ゴロヴニン
(1776~1831年)

ヴァーシリィ・ゴロヴニン

「日本の国民教育については、全体として一国民を他国 民と比較すれば、日本人は天下を通じて最も教育の進んだ 国民である。日本には読み書きの出来な い人間や、祖国の法律を知らない人間は 一人もいない。」 「日本人は農業、園芸、漁業、狩猟、 絹および綿布の製造、陶磁器および漆器 の製作、金属の研磨については、殆んど ヨーロッパ人に劣らない。彼らは鉱物の 精錬もよく承知して居り、いろいろな金 属製品を非常に巧妙に作つている。指物および轆轤(ろく ろ)業は日本では完成の域に達している。その上、日本人 はあらゆる家庭用品の製造が巧妙である。だから庶民にと つてはこれ以上、開化の必要は少しもないのである。」 「日本人はあらゆる階級を通じて、対応が極めて丁重で ある。日本人同志の礼儀正しさは、この国民の本当の教養 を示すものである。」
(出典:『日本幽囚記』ゴロヴニン著、井上満訳、岩波文庫)

ヴァーシリィ・ゴロヴニン
ロシア帝国(ロマノフ朝)の海軍軍人で冒険家のゴロヴニンは、1811年(文化8年)に軍より命じられて千島列島の測量に向かった際、国後島で幕府の捕虜となり二年余に渡って函館と松前に幽閉されました。これは、ロシア使 節レザノフが日本に武力行使で通商を認めさせようと、ロシア政府の許可を得ずに択捉島の日本人部落を襲った蛮行事件が発端で、厳戒態勢中の国後島に上陸したロシア皇帝 艦長ゴロヴニンが捕虜となり抑留された「ゴロヴニン事 件」として知られています。 ゴロヴニンは帰国後の1816年に日本での幽閉生活をまとめた『日本幽囚記』をロシア海軍印刷局から出版しましたが、この本は直ちにヨーロッパ各国に翻訳されてベストセラーとなり、日本でも1825年に訳本が出版されています。本書の中でゴロヴニンは、日本人は天下を通じて、礼 儀正しく、最も教育の進んだ国であると紹介しています。 例えば、「日本人は自分の子弟を立派に薫育(徳をもって人によい影響を与え、教え導く)する能力を持っている。ごく幼い頃から読み書き、法制、国史、地理などを教え、大きくなると武術を教える。しかし一等大切な点は、日本人が幼年時代から子弟に忍耐、質素、礼儀を極めて巧みに教えこむことである。われわれは実地にこの賞讃すべき日本人の資質を何度もためす機会を得た。」と書いています。江戸後期のこの時代にすでに十分な知育を施していただけで なく、武術による体育、さらには躾などの徳育までもが組み込まれ、知育・体育・徳育の三位一体となった教育が行われていた訳です。このような三位一体の教育が近代化へと繋がる激流を生んでいったことに私たちはもう一度刮目すべきでしょう。

ウィリアム・スミス・クラーク
(1826~1886年)

アインシュタイン

「 "Boys, be ambitious!like a old man" Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement, not for that evanescent thing which men call fame …Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be. 」 「〝青年よ、大志を抱け 成熟した人のように″ それは金銭や我欲のためにではなく 名声という空虚な志のためでもなく  人はいかにあるべきか その道を全うするために 大志を抱け。」 」
(出典『日本奥地紀行)』平凡社)

アインシュタイン
クラーク博士は、幕末から明治にかけて欧米の先進技術や学問を輸入するために雇用された、いわゆる「お雇い外国人」のひとりです。米国マサチューセッツ州で生 まれ、ドイツのゲッティンゲン大 学で「隕石の組成に関する研究」で博士号を取得後、米国アマース ト大学教授になり、その後マサ チューセッツ農科大学の第3代学長も勤めています。アマースト大学に留学した新島襄(同志社大学の 創設者)の紹介により、1876年(明治9年)に札幌農業学校(現北海道大学)の初代教頭(事実上の学長)に就任 し、8ヶ月札幌に滞在して自然科学一般を英語で教えまし た。上記の「Boys, be ambitious(青年よ、大志を抱 け)・・・」は、札幌農学校第1期生との別れの際にク ラーク博士が述べた言葉とされています。クラーク博士より直接指導を受けた第1期生により博士の精神は継承さ れ、第2期生には、国連事務次長となった新渡戸稲造、平和主義者で思想家の内村鑑三、世界的な植物学者の宮部金 吾など著名な人材が育っています。
夢を持つならばハッキリとした「目標」とその「方向性」を見定めてゆかねばなりません。教育の崩壊が叫ばれる今、ハッキリとした「大志 (目 標)」を抱き、自ら方向を見定めて進んでいける青少年の育成が益々重要になってきています。

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